Someday the origin zenith blue

written by ゆき

その他留意事項:特にネタバレ等はございません

その日は朝から小雨がぱらついていた。
 一向に明るくならないカーテンの向こうを怪訝に思った私が、それを開けた途端落胆に襲われるのは容易いことだった。

「ねえ、ハク、今度はいつ休みがとれるの?」
 夏真っ盛りのこの時期、私は彼と避暑を楽しみたいと考えていた。
「おまえの考えそうなことは分かる」
 彼はそれだけ言うと、微笑む。
「そろそろクロにも会いたいなと思っていたんだよね」
「ああ、クロも暫くおまえに会っていないせいか寂しそうにしていたぞ」
「それじゃ……」
 ハクは元からそのつもりで、早めのうちから休暇申請を出していたのだ。彼女と想いを通わせてから数回目の誕生日を迎えようとしていた。
 彼がそこまで考えてくれていたことを知るのは、それから後のこととなる。

 今回の計画の中止を恐れた私は咄嗟に携帯の通話ボタンに手を掛けるが、その動作よりも早く玄関のインターフォンが鳴り響いた。
 約束の時間はまだ先にもかかわらず、だ。
 私ははっ、とドアの方に目をやると、ロックを外すよりも向こう側から聞き慣れた声が聞こえてくる。
「すまない、予定よりも早く着いてしまった」
 そのトーンはまるで私がまだ夢の世界に滞在しているかのようだ。
「大丈夫だよ、ちゃんと起きているから」
 相手を驚かさないようにそっと玄関のドアを開けると、焦りを隠せない表情の彼が飛び込んできた。
「わっ!お、おまえ……」
「ごめん、驚かせちゃったかな。連絡しようかなと思っていたから嬉しいよ」
「大丈夫だ」
 ハクは思わず口の前に添えていた手のひらを外し、そっと私の頬に触れる。
「ありがとう……」
 いつもこのひとはこの優しくて力強い手のひらで私を守ってくれる。甘えてばかりいるのが歯がゆくて、何かしてあげたいと常に思うのだが中々上手くいかないのが現状で。
 私は自分の体温とは違う温もりを感じながら、
「ところで、どうして早めに来たの?」
 彼に理由を聞くべく、まずは部屋に招き入れたのだった。

「――と、いうことはハクも私と同じように思っていたってこと?」
「そのようだな」、と彼は短く呟くと微笑んで、コーヒーカップに口をつける。
「あーよかったぁ」
 私は思わず安堵の溜め息を漏らしてしまう。が、
「え、えーと、その、ごめんね。軽率に喜ぶことではないのかも」
「いや、おまえと気持ちが一緒で俺も嬉しい」
 こちらをじっと見つめる眼差しはどこまでも優しくて、愛おしい想いで溢れていた。
 あまりにもまっすぐすぎるその視線に私は恥ずかしくなってしまい、そっと視点を外そうとするがその刹那、
「……俺を見てくれ」
 その言葉にはまるで呪文が掛けられているかの如く、否が応にも彼の方を向くしか術はなかった。
 熱を帯びている琥珀色の双眸に囚われてしまったのだろうか。私も真正面からその整った顔を見据えると、その瞳には自分しか映されていないような錯覚に陥る。
 そのまま見つめあう事、一体どれくらいの時間が経ったのであろうか。
 先に沈黙を破ったのはこともあろうか、私の携帯のアラームだった。
 起床時刻ではなくて、待ち合わせの時間にセットしておいたのが仇にでもなったか。
「ご、ごめんね。何か不安で……」
「あ、いや」
 慌ててアラームを解除する私の目の前で、彼は利き手を握り締めて口元に宛がっている。
「さて、と――まだ天気は微妙だがどうするんだ?」
 彼は何時の間にやら椅子から立ち上がって、カーテンをめくり窓を開けて外界を眺めていた。
「このまま中止にしちゃうの勿体無いね」
 私は今一度、天気予報アプリを開いて目的地の天気を確認してみる。そして、その画面をハクに見せながら、にっこりと微笑んだ。
「――そうだな。おまえの部屋で過ごす休暇も悪くないが」
 元々、よほどのことでない限り諦める気などさらさらなかった。何と言っても二人の大切な記念日だ。
「やった!そうこなくちゃ。アンナさんたちにも旅行のお土産買わないとだし、いけませんでした――とか流石に報告できないよね」
「おまえとしては、それだけなのか?」
 え、と返す余裕も与えられずに、頬に柔らかいものが触れる。
 一瞬何が起こったのか理解できずに右往左往する私に対して、ハクは口角を上げると、
「……向こう、きっと晴れるぞ」
 くるり、と後ろを向いた彼の耳元がほんのり紅に染まっているのに気付いた私は、たまらなく喜びに満ち溢れるのを感じた。
「ずっと楽しみにしていたんだよ」
「知ってる」
「だから今朝起きてすごく悲しかったんだ」
「それも知ってる。だから、早く来たし、それに……」
 彼はひと呼吸置いて、
「誰かと特別な日を祝うなんてことはずっと無縁だと思っていた。だから、おまえだけじゃない、俺も休暇申請をおまえが引くほど早くに出していた」
「そうなの?あ、でも私も実は結構前からアンナさんに、休みたいって言っていたから……お互い様だね」
 
 何気ない日でもその日は恐らく誰かの特別な日。
 移ろい行く日々が大切なものでありますように。

「クローー!!久しぶり、元気にしていた?」
 私はマンションの下で待っていた彼の愛車に思わず抱きつく。
 ハクはやれやれ……と呆れでもしたのか、私をクロからべりべりと剥がすと、
「まさか、バイクにも嫉妬する日が来るとは……」
 と、ひとりごちた。だが、幸いな事に彼女には聞こえていなかったのか、
「ハク、今何か言った?」
「いや、なんでもない」
 そう?と怪訝な表情を浮かべる私を横目に、自嘲気味に笑う彼の姿があった。

 ヘルメットを被り、彼の腰にしがみつくと、
「準備オッケー!しゅっぱーつ!」
 私の声がハクのツボを刺激でもしたのか、彼は苦笑交じりに、
「そういうセリフもおまえらしいな。そこがいい」
「褒めても何も出ないよ?」
 返ってきたのは慈愛に満ちた笑みだったが、その表情のあまりの優しさに顔に熱が灯るのは致し方ないことだろう。
「……ハクのそういうところ、ずるい」

 クロはどこまでも走り続ける。
 目的地までひたすらに風を切って、そのまま世界すら変えられる気がしていた。
 距離が進むにつれ空は晴れ渡り、満天の星空が約束されたも同然だろう。
 私達は互いに休暇の成功を確信していたのである。

いつも仕事や任務で忙しい二人だから、お泊まりしてゆっくりと休暇を楽しんで欲しいなという願いの元に……。