ハンドメイド・バースデー
「おまえに、折り入って相談があるんだが」
電話口の神妙な声に、胸がざわついた。ハクから相談事なんて珍しいものだから、私は背筋を整えた。
いったいどんな重大事件なのだろうかと、覚悟を決めたのだけれど————
「私の誕生日を、お祝いしたい?」
「ああ、おまえは俺の誕生日を盛大に祝ってくれた。せっかくならおまえの望みを叶えてやりたいからな。俺にできることなら何でもしたい」
拍子抜けしてとぼけた声で問う私に、ハクはいたって真面目に話を続けた。誕生日をお祝いした時の————破顔して「ありがとう」と言ったハクの表情、声、瞳の色。未だに鮮明に、覚えている。そのさまは、まるではじめて喜びに触れた幼子のようで。私は懐の深いところを擽られるような面映さを抱いた。
一世一代の悩み事かと思えば————まっすぐに私と向き合ってくれるその姿勢に、胸の内があたたかな波で満ちていく。
「気持ちはとても嬉しいけど、私はお返しを期待してハクのお祝いをしたんじゃなくて、私がそうしたかったんだよ」
「ありがとう。でも、俺も何かおまえにお返しがしたいんだ」
「一緒にいられればそれで十分なんだけど…」
「おまえは欲がないな」
肩をすくめて涼やかに笑う顔が、目に浮かぶ。何もアイデアが思い浮かばないことに些か申し訳なさを覚えるけれど、ハクが私のそばにいてくれるなら、それだけで幸せな誕生日だと胸を張って言えるだろう。
けれど、ハクの意志はそう簡単に折れるものではなかったらしく————
「なら、当日の楽しみってことにしよう。おまえのことを、精いっぱいおもてなしさせてくれないか」
◇◇◇
——迎えた当日。
結局その後、「俺の家に来てほしい」と手短な連絡があった。予告されたサプライズに胸を高鳴らせ、私はお気に入りの真っ白なワンピースに袖を通した。
階段を下りれば、フレアの裾がひらひらと揺れる。陽光が私の純白をいっそう煌かせてくれる、そんな予感がした。
「お手をどうぞ、お嬢さん」
私を出迎える彼は、恭しく私の手をとる。指先を絡めて、同じ歩幅で歩き出した。触れあう体温も、並んで歩くスピードも、心地良い。一緒にいられれば十分だと言ったけれど、本当にその通りだ。
「今日はありがとう。すごく楽しみにしていたの」
「ああ、俺に任せてくれ」
いらっしゃい、と私を招き入れるハクの声の調子がどこか上擦っていたような————そんな違和感を覚えたが、私はすぐにその答えにたどり着いた。
廊下からダイニングまでを埋め尽くす、きらきらと可愛らしいオーナメント。色とりどりのハート型や小さな花の飾りが、メルヘンなフォントで描かれた”Happy Birthday”の文字を引き立てている。
「っ、わぁ…!なにこれ、すっごく可愛い!ハクが考えてくれたの?」
「おまえはこういうのが好きだろうと思って…」
「ふふ、さすがだね!大好き!写真撮ってもいい?」
「ああ、好きにしてくれ。おまえのこともたくさん撮ってやる」
聞くところによれば、カンヤを通してユイやクミに教えを乞い、準備をしてくれたようだ。こんなに可愛らしい飾りつけを、ハクが見繕い、いそいそと準備してくれた——この光景は単なる「お祝い」ではなく、ハクや同僚たちの気持ちが込められた特別な贈り物なのだ。
ハクに肩を抱かれ、セルフィーにこの幸せな光景を閉じこめる。スマホのカメラロールに収めた写真には、月が弧を描くように穏やかな瞳で笑う、私たち。
「嬉しいなぁ…私のために、みんなも手伝ってくれたなんて」
「おまえが普段、仲間のために献身的に働いているからだろう?それに、まだまだお楽しみはあるからな」
見ていてくれ、と言い残してキッチンへ籠ったハクを特等席から見守る。彼は料理はそんなに得意ではなかったはず————なのに、淀みのない所作でてきぱきと包丁を扱っている。スープを煮込む間にささっと炒め物を用意して——時折ハクは小声で焦ったように「間違えてしまった…ゴホン」とこぼしたり、「この前より上手くできたな」と口角が上がっていたりしたのだが——今日までに、彼がいかに「準備」をしてくれたのだろうか。その心を思うと、こうして特等席で彼の「本番」を見守れることが至福の時間だと思えてしまう。
「完成だ。サラダ、スープ、エビと野菜の炒め物と、ローストビーフ。デザートにケーキも買ってある」
「わぁ〜!ハクの手料理フルコース!」
「ああ、おまえほど腕は良くないかもしれないが…その、気持ちは込めた。張り切りすぎたかもしれないが」
「嬉しい!全部大事に食べるね。早速いただきます」
ほかほかと湯気の立つトマトのスープをひとすくい。琥珀の真摯な瞳、皺の寄る眉間——ハクは、重大な任務に関する電話をしている時とよく似た深刻な顔で、私をじっと見ている。なんだかそのことが可笑しかったけれど、こみ上げる笑いをぐっと堪えて、スープをひと口啜る。
甘酸っぱいトマトの風味に、とろとろのお野菜の甘みが口いっぱいに広がる。ここまで料理を「準備」しておいて、そんなに緊張するなんて————
「…………ど、どうだ」
「そんなに心配そうな顔しないで?すっごく美味しい!手際も良いし感激しちゃった」
「本当か!?…良かった」
「ね、ハクも一緒に食べよう?」
私の反応を見て、心底ほっとしたのだろう。ハクは漸く表情を緩めて、カトラリーを手にとってくれた。
私がレストランでよく選ぶ味を覚えていて、今日のためにハクが作ってくれたというサラダのドレッシング。気合いを入れて用意してみたというローストビーフも、エビと野菜の食感の違いが楽しい炒め物も、さっぱりとした甘みのチーズケーキも。それらすべてが、ハクが一生懸命私のことを考えて用意してくれたもので。
「本当にどれもすっごく美味しい…ハクはいつの間にこんなに料理上手になっちゃったの?私よりも先に行っちゃうんだから…」
「たくさん食べてくれて嬉しい。おまえのためだからな、得意ではないことだろうと、何だってできる気がするんだ」
「ふふ、それならハクが優秀なのは私のおかげってことだね」
「ああ、そうだ」
「もう、冗談でしょ?全部ハクの努力の賜物なんだから」
「そうか?あながち間違いではないと思うが」
私のためだけに用意されたフルコースに次々と手が伸びて、あっという間に平らげてしまった。出来上がりのボリュームを前にやや不安げにしていたハクも、私の豪快な食べっぷりに胸を撫で下ろしたようだ。
本当に、どこまでも私のためを思ってくれている————そのことが、また私の心を震わせた。
「ごちそうさま!せめてものお礼に、お皿洗いくらいはさせてくれないかな」
「いや、今日は俺がおまえをもてなすって決めたんだ。おまえはただここにいてくれるだけでいい」
「そうは言っても…なんだか至れり尽くせりで申し訳ないよ」
「俺がそうしたいんだ。ここで座って、少し待っていてくれるか」
今日は私の手を煩わせることはしないと、半ば強制的に私をソファに座らせたハクは、いそいそと寝室に入って行く。手持ち無沙汰になってしまった私は、見慣れたはずの彼の部屋をぐるりと見渡した。
いつもはシンプルで爽やかな彼のセンスに彩られた部屋が、きらきらと可愛らしいデコレーションでいっぱいだ。どうにも落ち着かない気がするけれど、それもまたハクからの精いっぱいの気持ちなのだと思うと、次第に心が凪いでいく。
程なくしてハクは、シャンパンゴールドの細身のリボンがかけられた小さな紙袋を持って、私の隣に腰掛けた。
「これはおまえに。今日の記念になれば嬉しい。生まれてきてくれて、俺に出会ってくれて、本当にありがとう」
「ハク…ありがとう!早速開けても良い?」
琥珀の双眸が、まばたきでゆるく相槌を打つ。私はリボンを解いて、硬めの紙袋から手のひらに乗るほどのサイズの箱を取り出した。箱を留めるセロファンを剥がして中身を開ければ——シルバーの細いステンレスベルトに、シンプルな文字盤。ところどころに控えめに埋め込まれた淡いアクアブルーのスワロフスキーが、ちらちらと光る時計だった。
「っ、か、可愛い…!こんなに素敵な時計…!」
「気に入ってくれたか?」
「本当に、素敵なサプライズバースデーをありがとう。私、こんなに幸せな誕生日ははじめて!」
「…っ、そうか」
ハクは私の左の手首をそっと持ち上げて、贈ってくれたばかりの時計をつけてくれた。そのまま大きな手は私の左手を包み、彼の温かな胸に引き寄せられる。指先に伝わる規則的な心音は、心なしかいつもよりも熱を上げている。見上げた瞳の奥は、深い海のようだ。琥珀の水面には、僅かに頬を染める私がくっきりと映し出されている。お互いの息遣いと、繋いだ手に流れる鼓動だけが、二人きりの室内を支配した。
「おまえの”はじめて”、ひとつ貰ったな」
そっと腰を抱かれて、額にひとつ口づけが落ちる。無邪気に弾んだ彼の吐息が耳元を擽り————ああ、抱きしめられているのだ、と。甘く溶けた脳が、そう理解する。頬にさらさらと触れる明るい茶髪は、私のそれより少し硬い。大きな背中に腕を回して、その髪を指でさらさらと梳いた。とても、心地が良い。
「きっと、これからもたくさんあげるよ」
「…?どういうことだ?」
「だって、これからもずっと一緒だもん!私はまだまだ知らないこと、行ってみたい場所、やってみたいこと、たくさんあるもの」
私は身体を少しだけ離して、端正な顔を覗き込む。息を呑んで私を見つめる彼の表情は、刹那の驚きと——琥珀の水面が揺らぐほどの、感情の動きを孕んでいた。
私に贈ってくれた時計————そこに込められた彼の思いが、私には手にとるように分かるから。そっと左手を伸ばしてハクの頬を包めば、白いルームライトによってアクアブルーの小さな煌めきが反射した。
「ハクもそうでしょ?」
「…ああ。そうだな」
交わる思いは、宝石よりも硬く、気高く、美しく。私たちの心でその輝きを燃やし、色褪せることはない。
ハクは頬に添えられた私の手を包み、薬指へと口づけた。熱源となる指先から、心臓へ、脳へ、全身へ————大きく波打つ鼓動に乗せて、まっすぐに向けられた愛情が流れ込んでくるようだ。その行為に込められたであろう真意は口に出さずとも——期待に震える私は、この手をとって歩む未来へ思いを馳せずにはいられない。
「二人で、”はじめて”をたくさん重ねていこう。おまえが新しい世界に出会う瞬間を、俺はそばで見ていたい」
「…うん!約束ね」
あらためて、私は小指を差し出した。それが指切りの合図だとすぐに察したハクもまた、長い小指を絡めて、二人で約束を交わす。
そばで過ごす時間の長さに比例して、きっと二人だけの約束もまた、増えていくのだろう。どんな小さなことでも、ハクはきっと律儀に守ろうと努力してくれる人だ。私もまた————彼の思いに、誠実でありたい。心から、そう思う。
「誕生日、おめでとう。おまえと過ごすこれからを、今までよりももっと幸せなものにしよう。俺が約束する」
愛を語るよりもずっと強く響く、低い声が鼓膜をしっとりと震わせる。未来を誓う祝福の言葉とともに、やさしく唇が重なった。
ハク先輩お誕生日おめでとうございます!先輩の献身的でまっすぐな愛し方が素敵なので、今回はハク先輩が主人公ちゃんの誕生日を精いっぱいお祝いするお話を書きました。デートを読むような気持ちでお読みいただけたらうれしいです。